高尚でテクニカルな近づきがたいイメージの一方で、こじゃれたインスト・アイテムとして消費されている気もするジャズ。このある種アンビバレントな音楽に、以前よりカジュアルに接することができるようになった。何故なのか、その理由は自分でもはっきりとはしない。「いったいどこから聴けばいいのやら?」な浅学ぶり、そしてなんだか感じる敷居の高さを気にしててもしょうがないし~っと開き直ったのかもしれない。まずコルトレーンとマイルス・デイヴィスをちゃんと聴いて・・・みたいに、ビッグ・ネームから突破していこうとしてそのデカさに尻尾を巻いたこともあったが、今は自分の好きなミュージシャン(ジャズではなく、むしろロック~ポップ人ですけど)の口から出てきた名前や作品名をランダムにポツポツ辿る、という感じ。そういえば、ロックを聴き始めた時も「まず基本だろう!」ということで勢い込んでビートルズ&ストーンズ全作品・・・から入ろうとしてイマイチうまくいかなかった(結局後からちゃんと聴き直したが)ので、自分は教科書的に音楽を聴くのが所詮苦手なのかもしれない。そっちの方が、マイ・ペースよりも無駄なく名作を聴けるんだろうけども。
ともあれ、ジャズをちょっとずつ、勘を頼ってかじり始めたことでアルバート・アイラー「Bells」、アリス・コルトレーン「Journey In Satchidananda」、マイルス・デイヴィス「In A Silent Way」だのマジ愛聴盤も増えてきたし、そうやってジャズのマイ・ツリーを徐々に広げていきたいな~と考えていたタイミングに合わせるかのように(いや、合わせてない。思い込みに過ぎないっつーの)、今年のMeltdown Festivalはオーネット・コールマンがキュレーター。わーお。ロック一辺倒人間だけにこれまでちゃんとした「ジャズのコンサート」に行ったことは一度もなかったが、これはもう、ここでひとつモノホンを見ておくべし~!という天からのお告げだろう・・・またも偶然を都合のいいように解釈する悪い癖だが、そういう勢いは大事ではないかと思います。
Meltdown Festivalを簡単に説明。このフェスはロンドンが誇る国営文化複合施設(Royal Festival Hall を中心に、テムズ川沿いにギャラリー、National Film Theatreなどが密集。観光名所Tate Modernほどオシャレじゃないかもだけど、3年前改装してずいぶん今風になりました):Southbank Centreで毎年開催される人気企画で、ひとりの人間が約1週間の演目プログラム・出演者をキュレートするのがミソ。キュレーター当人も、もちろん出演します。ってことはAll Tomorrow’s Partiesと同じコンセプト・・・だけど、こっちの方が歴史は古いし(90年代前半スタート)、キュレーターの顔ぶれにしても大人向けのレジェンド揃いなブラック・コーヒー。これまでキュレーションを依頼されたのはコステロ、ローリー・アンダーソン、ジョン・ピール、スコット・ウォーカー、ロバート・ワイアット、ボウイ、パティ・スミス等々で、はい、フラペチーノは出ませんね~。ちなみに、ATPとMeltdown両方でキュレートした2冠の栄誉を与っているのはニック・ケイヴだけ。彼のMeltdown出演が、ニーナ・シモンの最後のライヴだったんだよね、確か・・・もっとも、あまりにアダルト~硬派だとヤング客が敬遠するからなのか(?)、ここしばらくはモリッシー、ジャーヴィス・コッカーら普通にポップな人々も登板するようになった。これは、現在Meltdown Festivalの運営を指揮しているのがかなりヒップな若いディレクターだからだろう。今回も会場でうろちょろしていて前口上など担当していたが、見た目は〝なんちゃって〟ヴィンセント・ギャロ風の遊び人風情。一歩間違えると高踏な文化事業イベントになってしまうところを、こうして思い切って若手に任せるのはやはり懐が深い英国だなーと思う。
レジェンダリーなアーティストが、①彼らのインスピレーション源および②自らの影響を感じさせる若手を集める・・・という企画そのものが楽しいし、レアなアーティストも登場~かつライヴ音響も絶品(なにせクラシックのコンサートもやる会場なんで。耳がジーンとするくらい綺麗な音です)。というわけで98年のジョン・ピール回(→コーナーショップ目当て)に行ってハマって以来なるべくやりくりして行くようにしていて、モリッシー回=ラウドン・ウェインライト、パティ・スミス回=ブライアン・ジョーンズタウン・マサカー/ケヴィン・シールズ/キャット・パワー/パティのジミヘン・トリビュート、ジャーヴィスの回=ロッキー・エリクソン等々に参戦。ちなみに、このフェスはケヴィン・シールズとジェイソン・ピアースの目撃率が高いので、ファンの方は張り込んでいるといいことあるかもよ?
去年はマッシヴ・アタックがディレクションを担当、グレイス・ジョーンズとYMOを見たかった~~んだけど、目玉チケットは毎年発売と同時に即売り切れであえなく敗退。Southbank会員になっておくと優先予約があるんだが、年会費がもったいない・・・というセコさが災いした(朝早起きして発売日にボックス・オフィスに並ぶ、という手もある。しかしドアがいくつもある会場なんで、行列が別の入り口にふたつできたりして「どっちが正解?」と開場するまでハラハラさせられるのが嫌。しかも、うっかり間違ったドアに並ぶと最後尾に回されてしまう。チケットぴあならあり得ねーぞ・・・!)。ともあれ、そのリベンジもあって今年は絶対行きたいと思っていたし、にわかジャズ熱もあいまってオーネットの名前がアナウンスされた時は「ヤター」とひとしきり盛り上がり。ちなみに広告に使われてるオーネットの写真はトレード・マークのプラ白サックスを構えてこっちをねめつける全盛期の写真で、80歳近い近影を使わないのは騙しっちゃ騙しだが、やはりかっこよい。っていうか、名前が既にかっこよすぎる。オーネット。コールマン。オーネット。コールマン。意味もなく連呼したくなる名前じゃないですか?気のせいか、ジャズのミュージシャンにはそういう「キマってる名前」が多い。マイルス、コルトレーンもそうだけど、ミンガス、チェット、バド・パウエル、アート・ペッパー、ドン・チェリー・・・結局センスがいいってことなんだろうか。
ともかく。今回行くことにしたのは、チャーリー・へイデンのリベレーション・ミュージック・オーケストラ公演、そしてオーネット・コールマン本人による「This is Our Music再考」の2回(「The Shape of Jazz To Come(ジャズ来るべきもの)」の回もあったんだけど、最終日を選びました。ヨーコ・オノも観たかったが、用事があってギブアップ)。もっと熾烈なチケット争奪戦になるかと睨んでいたものの、案外あっさり、それもそこそこにいい席を予約できたので驚いてしまった。推測するに、今回チケットがいちばん早く売り切れたのはパティ・スミスとシルヴァー・マウント・ザイオン・メモリアル・オーケストラ共演のライヴだったんじゃないかなぁ・・・さっきも書いたけど、ここ3、4年のMeltdownはヤング向けにもなっていて――それ自体はまったく悪いことではないんだけど――ロンドンで普通に単独公演をやるような、コマーシャル&ポップなバンドも多く登場するようになってきていた(たとえばマッシヴ・アタックなんかだと、彼らだけ観たいって人も山ほどいるだろうし)。それぢゃあMeltdownの名が泣くよ~という思いも実は若干あったし、今年こうしてヒップな有名人や人気アクトではなく渋~い「JAZZ」が唐突に看板になったことで、少しバブルが弾けたのは今後のために良かったんじゃないかと思う。と同時に、やっぱり今は一般的にジャズって地味なジャンルになっているんだなあ、とも。
しか~し!んなことまったく関係なく、オーネット・コールマン、そしてチャーリー・ヘイデン、どちらも素ん晴らしかった。思わず泣いてしまい我ながらびっくり。ジャズ初心者「スーパー若葉マーク」な自分が体験するのは畏れ多くもったいないコンサートなんだろうし、それこそ日本のコアなジャザーからは「お前なんかが見たって豚に真珠だろーが!オラ!」と回し蹴りを食らうかもだが、彼らの奏でる音楽の美しさ、波動のエモーションを肌に感じたのは間違いなく、そこで熱い感動を受け取ったのも確かなので、気にせず書くとします。
まずはチャーリー・へイデン。会場に入ると前座のバッド・プラスが熱演中だ。しかし元気なビバップという感慨以上のものを抱けず、しかも演奏中は中に入れない(=曲間にしか入場できない)のでバーで時間つぶし。夕日を浴びるガラス張りのテラスからテムズ川を見下ろすと、ちょうどSouthbankで開催中だった草間弥生展を記念して川べりの木々が例の水玉に模様替えされている。ヨーコ・オノも数日前にここでライヴやったばかりだし、日本の前衛はイギリスでも人気あるみたい。LMOの出番が近づき場内へ。と、自分の席に既に誰か座り込んでいる。「ここ私の席なんですけど?」と声をかけて、一瞬空気を飲み込んでしまった。元ヘフナーのダレン・へイマンだった。慌ててチケットの半券をチェックしなおしたダレン、結局2列前と判明してそそくさ移動(でもステージに近くなってやや得意そうなのが子供っぽくてかわいい)。翌日のオーネット・コールマンにも来ていて、ほんと音楽好きなんだこの人~と感じたが、クリニックの面々は見当たりませんでした。絶対いるだろうと思ってたんだけど。
ダブル・ベース奏者のベテラン=チャーリー・ヘイデンは、50年代末からオーネット・コールマン・カルテットの一員として活動、彼の音楽的発展に貢献してきたコラボレーターのひとり。ポップ・ファンには、ペトラ(元ザット・ドッグ、ウィーザー絡みでこの名を見かけた人も多いのでは?)、レイチェル、タニヤの3音楽姉妹およびジョッシュ・ヘイデン(スペインの彼)を擁する西海岸名門音楽一家のお父ちゃんとしての方がお馴染みかもしれない。彼はオーネットの門戸を離れた後にリベレーション・ミュージック・オーケストラを編成~今回はLMOのアレンジャーとして腕を振るってきたカーラ・ブレイが自ら指揮をとるスペシャル・セットで、かつロバート・ワイアットがゲスト出演する!というのが筆者にとっては目玉。姿を観るだけでなぜかじんわり泣けてしまう、そういう、自分にとってはスピリチュアルかつマジカルな存在なのですロバート爺・・・ちなみにチャーリー・ヘイデンとは、彼の書いた「Song For Che」を爺がカヴァーしたのが縁で繋がったのだと思う。そのチャーリー・ヘイデンはもうすぐ72歳、豊かな白髪にビッグ・スーツ+眼鏡という紳士なルックスと昔風な西海岸アクセントにヴァン・ダイク・パークスあたりがだぶって素敵~~!(ミーハーですんません)な折り目正しい知性派ロマンスグレー(=死語)の佇まいだったが、かつてポルトガルで反植民地運動を展開する革命家を支持した疑いで逮捕・投獄され、政治思想を理由にFBIにマークされた経験も・・・という筋金入りの硬派な社会派ミュージシャンでもある。ロバート・ワイアットとの共鳴は、音楽だけのものではないのだ。
久々にステージを踏んだLMOの布陣はこの日のため特別編成されたもので、ロンドン出身のジャズ・ミュージシャンも選抜参加。アフリカン、スパニッシュ、アイリッシュと出自は様々ながら、みな当然のごとく非常に緊張している。自分達が聴いて育ってきた音楽を作った人物との共演じゃ、それは当然だろう。ソニア・リキエルを白髪にしたような見た目のカーラ・ブレイは左端でグランド・ピアノと共に控え、チューニングや進行~コンダクター兼任の音楽監督役。チャーリーを中心にギター、パーカッションが置かれ、そこにリード楽器隊(トランペット、サックス、チューバ、トロンボーンetc)がずらりと並ぶ様は、まさに金管のオーケストラだ。その管楽器チームが入れ替わり立ち代わりスツールから立ち上がり、ソロを順次担当していく様は最初のうち整然としていて、各管の音/トーンの差異を活かした精密なアレンジ~ハーモニーにうっとり。しかし徐々に演奏に興が乗ってきて、各人のダイナミックな吹き・個性に合わせてひとつの主題がどんどん拡張していく。そこを長い両腕を広げ、横に引き伸ばし、縦に刻み・・・とコントロールし統率していくのが女性=カーラ・ブレイであるのは、奏者がギター以上に男性のリビドーを感じさせる管楽器楽団というのを考えると、なんだか象徴的で面白い。
ジャズばかりではなく「Amazing Grace」といったトラッドやブルース調の曲、カーラ・ブレイのコンポジションも演奏されて、むしろ様々なスタイルのフュージョン。途中で車椅子のロバート・ワイアットがステージに迎えられ、思わずスタンディング・オベイション。魂が震えるようなあの高い声がAh・・・とスキャットする様、癒されると同時に身が引き締まる思いになる。まさに声が楽器の人だが、彼が英語で歌う時の響きの方が自分は好きかもしれない。1曲で引っ込むのか?と思いきや次の曲ではなんとトランペットでも参加!最近は自宅近くのパブでライヴ(といっても気が乗ったら飛び入り、みたいなものなんだろうけど)もやってると聞いていたが、歌以外で彼の演奏を見たのは初めてだ(涙)。他のプレイヤーに較べると迫力には欠けたが、ロバート・ワイアットのニュアンスはちゃんと残った。途中でチャーリー・ヘイデンが何度か「古くからの友人を迎えたいと思います」とMCしていて、それはきっとオーネット・コールマンだったのだろうが、結局「まだホテルにいるそうで、今夜は来てくれません」との結末(笑)。しかしドボルザーク「新世界」の壮麗なバリエーションで締めたセットは、言葉やジャンルに規定されない音楽の自由さ~リズムとメロディとトーンのピュアな響きあい~を感じさせるもので、とてもリフレッシュさせられた。それにまあ、当たり前の話なんだがジャズのプレイヤーは上手い!そこらへんをぐちゃぐちゃに崩して個性が生まれるロックのメソッドに慣れているが、的確に演奏された音というのは、やはり美しい。ミュージシャンが退場した後も拍手が鳴り止まず、チャーリー・ヘイデンが単身ステージに登場。ジョークの後に今回の企画に参加してくれたミュージシャンやスタッフへの賛辞、そしてやっと灯りが見えてきたアメリカ政治への希望と「世界は美しい、その美しさを守っていきましょう」と力強く観客に語りかけた彼の姿は、優れた音楽家であるばかりか、優れたアメリカ市民を見るようで感動的だった。
翌日は、いよいよ真打登場。この日は前座のBachir Attar&マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジュジュカから観た。「ジュジュカ」と言われるとやはりブライアン・ジョーンズが浮かんでしまうが、モロッコのフォーク・ミュージシャンの集団である彼らは全員民族衣装にターバン姿~スリッパを脱いで演奏に取り掛かる。前日に見た、装飾的でピカピカに磨かれ威容を誇る西洋クラシック管楽器の数々に較べると、彼らの吹く管楽器はむしろ・・・日本のチャルメラのよう(笑)。デザインは質素、使い込まれて煤けている。恐らく1本が出せる音階はきわめて限られているのだろうが、侘しいなんてことはなく、低音部隊がリズムを醸成しその上に高音勢がメロディを乗せていく、コンビネーションの妙はさすが「マスター」の名に恥じないもの。思っていた以上に楽曲のバリエーションも豊かだ。そこに首から提げるタイプの太鼓チームが加わっていき、お囃子のようにヤンヤと景気のいいノリで盛り上がってくるとパォー!プォー!の不協和音も激化し、その鳴りっぷりはむしろノイズ・バンドのようでもある。しまいに低音太鼓係り(→ビル・マレイ似)が立ち上がって陽気に踊り始め、こないだ見たSublime Frequenciesのショウに近い熱狂へと転じていったのも面白かった。アフリカの音楽は、やはりエクスタティックな脱自ダンスというのがポイントなのかもしれない。また、このプリミティヴで根源的な演奏を見ていて、こういう音楽が好きなデーモン・アルバーンはいつの日にかMeltdownをキュレートするのかもしれないな~、となんとなく感じもした。
一休みしてオーネット・コールマンに備えていると、ラフ・トレードの創設者ジェフ・トラヴィスが近くに着座するのが見えた。今夜はダブル・ベース、エレクトリック・ベース、サックス、ドラムスのカルテットで、もちろんドラムスはオーネットの息子デナルドが担当。メンバーがポジションに着き待機する中、Meltdown主宰者の短い挨拶口上の後にゆったりとステージに現われたオーネット・コールマンは、エレクトリック・ブルー(!)のスーツ姿。めっちゃお洒落な爺さんである。今回のキュレーターということもあり場内はたちまちスタンディング・オベイションで、「We Love You,Ornette!」の歓声が盛んに飛び交う。しかしさすがに80歳の声を目前にした人だけに、正直見ていて不安になるほど、所作といい歩く姿といい枯れ枝のように弱々しい。スタンディング・オベイションには、そんな彼がはるばるロンドンまで来てくれた、その事実そのものに対する感謝・リスペクトの念もかなり含まれていたと思う。サックスを抱えるのすら重たいのでは?と、譜面台のスコアを泰然と繰る姿を見守りながらドキドキしていたのだが――吹き出た最初の一音で、不安も懸念も粉々に消し飛んでしまった。
何かが「降りて」きたのか?と思うくらい力強い音は、さっきまでの温和&礼儀正しい老人が「オーネット・コールマン」へ変貌したことを告げていた。彼のような人は、もう音楽に生かされているというのか、演奏を始めた途端何か目に見えないスピリット~エレクトリシティで体内が充電されてしまうのだろう。そのしなやかさと生々しいエモーションの爆発は、今20代の若者と較べても・・・というか彼ら以上にパワフル。サックス演奏に必要な体力(重さはもちろん、頬と肺、唇がすごく消耗する)を考えても信じがたい光景だった。もちろん筆者は最盛期のオーネット・コールマンを見ていないし、当時を知る人からは「彼も丸くなった」みたいな見解が出るのかもしれないが、フレッシュマンの自分はこの火を吹くようなイントロだけでノックアウトである。カルテットの息の合い方も素晴らしく、テンションをキープしながらルーズな空間にお互いが呼吸する余地を残す、力と間(ま)のバランスに揉まれるうちこちらの感覚も澄み通っていく。途中トランペットやヴァイオリンに持ち替え、異なるトーンをブレンドしながらバンドを舵取りしていく姿も凛々しい。
Dancing In Your Head--Ornette Coleman
そしてやっぱり!という感じでRHCPのフリーが登場。「This Is Our Music」の回でも客演していたそうだし、Meltdownには何度も出ているので絶対出てくるだろうな~と思ってた。黒スーツ+スニーカーというビースティー・ボーイズ的な佇まいで紹介もなしにそのままカルテットの並びに加わり(この人は色んな場面でゲスト登場したのを見てきたが、毎回すんごくカジュアルで「ただのミュージシャンです」なおごりのなさが最高)、バキバキのチョッパー・ベースでオーネットのサックスに果敢に挑んでいく。彼の超絶プレイを受けて演奏もヒート・アップしていったが、特にすごかったのがそこに前座のジュジュカ集団も加わり、ビッグ・オーケストラ状態でプレイされた「Dancing In Your Head」(これも名作!)。ファンキィなグルーヴのせめぎあいと灼熱の躍動感、抑制された中にも硬質なエッジを刻むサックスのリフのシャープさに場内の空気も興奮に染まっていき、座席会場でさえなければ筆者もひょっとこ踊りを繰り広げていたところだ。やまない大喝采に応え、アンコールでは盟友チャーリー・へイデンを従えての「Lonely Woman」。それまでの熱をスーッと醒ますようにクールにキープされていくリズムの中にムーディなサックスのメロディが流れてくるのだが、その情感豊かで胸を抉るような鳴りを聴いていて、この人はサックスで歌っているのだ・・・と嘆息せずにいられなかった。そんな胸にどっしり余韻を残すエピローグの後、オーネット・コールマンは感極まって舞台に詰め寄ったオーディエンスひとりひとりに向かい合い、客電が点っても腰をいっぱいに折り曲げて丁寧に握手を交わし続けていた。そこにはきっと、世代や人種を越えて繋がりあう何か――インスピレーションの交流――があったと思う。半世紀以上のキャリアを誇るアメリカン・ミュージックの開拓者達のひとりに対する、素晴らしいトリビュート・イベントだった。
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