このギグに誘われた時、思わずジョン・ドーの方と勘違いしてしまった――それくらい、オランダのアナクロ・パンクのレジェンド=ジ・エックスは「知る人ぞ知る」アンダーグラウンドな存在と言えるだろう。結成から優に30年/アルバムは20枚以上・・・というキャリアながら、作品は基本的に自主リリース~ツアーも自分達でブッキング(ツアー・ヴァンもいまだにバンドが運転しているらしい)と、DIYなパンク原理を貫いている点がその理由の最たるものだろうし、バンド創設時からのオリジナル・メンバーも、いまや一人しか残っていない。あり方としては、英アナクロ・パンクの雄クラス、あるいはもはやバンドというよりひとつの運動体/MES組織として続いているザ・フォールが近いだろうか?特にハードコアなパンク・ファンではない筆者のようなリスナーにとっては、それこそトータスやソニック・ユースとのコラボでうっすら記憶の糸が繋がる程度・・・とはいえ、この晩のパフォーマンスは今なお一徹な彼らの衝動、そして音楽への衰え知らずな好奇心を伝えるものだった。
前座はブリストルを拠点にするマス・ロックの新星ズン・ズン・エグイ(=Zun Zun Egui。日本人キーボーディストを抱えるゆえのこのネーミングと察せられるが、イギリス人は皆どう発音していいか困っていて、なかなか笑える・・・)。去年グリーン・マン・フェスティヴァルで観た時より演奏力を上げていて、フェラ・クティ・ミーツ・バトルズとでも言うべきアッパー&ダンサブルな楽曲の連射で、MCもほとんどなしに(文字通り)ズンズン突き進んでくれた。この晩の客層は英パンクのリアルタイマー~アナキズムや社会変革を夢見た人々=現在40~50代が中心(いったい普段はどこに潜んでいるの??と思うくらい、年季の入ったドレッドロックだのスキンヘッド親父、ドクター・マーチン婦人が多数)だったが、彼らのパッショネイトな演奏はオーディエンスとばっちりコネクトしていた。
そうこうしているうちポーランド人の知り合いと会場で出くわし、彼からジ・エックスの魅力を拝聴。これまで何度も彼らを観たというこの御仁だが、今回は「オリジナル・メンバーのヴォーカルが去年脱退して以来、初のUKライヴで楽しみ」「今夜はブラス・セクション付きのスペシャル・パフォーマンスだから、是非観たかった」とのこと。パンクとブラス・・・?ちょっと意外な取り合わせだが、ジ・エックスの長寿の秘密として上げられるのがこのバンドの柔軟性。起源にあったのはもちろんパンク・ロックの「Anyone Can Play Guitar」エソスだったわけだけど、そこからジャズ、ワールド・ミュージック、フォークロア音楽と様々なジャンルとの異種交配を繰り返し(数年前にはアフリカ音楽にも接近)、一概に「パンク」とは括れない音楽性を誇る彼らは、いわば(ラモーンズやピストルズに象徴される)音楽スタイル/ジャンルとしてではない、精神としてのパンクを実践してきたと言える。
その気骨は、喝采の中笑顔で登場した彼ら(みんないい顔のおっちゃん&おばちゃん)が1曲目から叩き出した鋼のようなギター・リフ、それを彩る変拍子のビートと鋭角なべース・ギターが織り成すダイナミックな音場にくっきり刻印されていた。この、ギター・ソロもヴァース/コーラス/ヴァースの明確な構造も持たない、ジクジク侵食してくるヘヴィネスで真っ先に思い浮かぶのがシェラックなわけだけど、それもそのはず:アルビニはジ・エックスのアルバムを何度かプロデュースしているのだった。と同時にミッション・オブ・バーマの明度も併せ持つ彼らのストイックなサウンドは、ある意味今夜のもうひとつの主役とも言えるBrass Unboundが奔放に暴れるだけの空間を作り出していった。
4名から成るこのブラス・アンサンブルは、スカンジナビアのジャズ・パワーハウスことマッツ・グスタフソン(サックス)、シカゴ音響派のベテラン=ケン・ヴァンダーマーク(サックス)、イタリアの越境者ロイ・パチ(トランペット)、オランダのジャズ奏者ウォルター・ウィアボス(トロンボーン)。マッツのアフリカ象を思わせるアンストッパブルな咆哮にオーディエンスも熱狂し、一方でちょび髭の伊達男風ロイ・パチのスカ~マリアッチ~マカロニ・ウェスタンまで取り込んだ華やかなプレイは、全体的に汗臭く、野郎ノリの強い雰囲気にユーモアの華を添えていて素敵。彼のパンチの効いた存在感と柔軟なセンスは、ハードコア・パンクなセット前半から、バルカン・フォーク風の猥雑なエネルギー、朗読、ハンガリー民俗音楽(ドラムスのカテリーナがヴォーカルをとったトラディショナルな曲で、素朴な歌声に拍手が湧いた)へと推移していったセット中盤で光っていた。
ゴゴル・ボーデロ、はたまたエル・ブロンクスまで彷彿させるそのミクスチャーぶりも良かったが、やはりオーラスはエックスとブラス・アンバウンドがつばぜり合うビッグなジャムで締め。エックスの面々がしたたかに敷いていく鉄条網のグルーヴを縫い、不協和音のブローが吹き荒れインプロな摩擦を生み出し、新たなケミストリーを生んでいく様は、我知らず拳を握り締めずにいられない迫力とスリルと快感をもたらしてくれた。また、その音圧をほっぺたにビリビリ感じながら、バンドのファンにこの日何度か言われた「ジ・エックスの真価はライヴにある」の意味を痛感することに。彼らは基本的にライヴで楽曲を磨いていき、その成果としてレコーディング音源=アルバムをリリース、という逆パターンを続けているが(ゆえにライヴでは頻繁にリリース前の新曲が披露され、過去の「名曲」をリピートすることはあまりない)、その実験的なスタンスは常に「次」を見据え、その時その時に真剣勝負~オーディエンスに挑戦し続けるこのバンドのスピリット面での若さを物語ってもいる。ブラス隊と交わす彼らの笑顔――顔こそやっぱり皺っぽかったけど、屈託のない表情は最高だった――を見ていて、コマーシャリズム他に関して妥協のない姿勢を貫くのは楽ではない・・・とよく言われるが、それはバンド側がどれだけ腹を括るか次第なのだな、とも思った。アルバムを何万枚も売り、世界各地でチヤホヤされながらメジャーな会場でツアーするのはある意味「ロック双六」の上がりなわけだけど、その双六に参加しなくても、30年続けることは可能なのだ。意思さえあれば。
そういえば、(サン・ラ・アルケストラ公演に続き)今回も入場待ちの行列でキエラン・ヒビデン(フォー・テット)、そして場内で音楽ライター=サイモン・レイノルズを見かけた。この手のギグに、必ずといっていいほど出没する人達でんなぁ・・・。